ドラゴン会の掃除活動
ドラゴン会が誕生したのは中学校二年生の頃のことです。
ありえない状況下での全力疾走でのひらめきによって誕生しました。
普通では考えられない危険な場所の掃除から僕たちの活動はその伝説の幕をあけました。
ドラゴン会 誕生 秘話
ドラゴン会誕生 はじめまして、当ブログ運営者のドラゴン会リーダーのmasaと申します。 当ブログにお越し下さり誠にありがとうございます。 このブログにたどり着いたあなたももしや掃除が大好 ...
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最初は、ほうきでゴミを掃くだけの掃除がだんだんとその規模を拡大していくことになります。
ゆくゆくは世界的に有名な組織にまでなる予定です。
このブログの読者のみなさんにはその軌跡をリアリティにお伝えしていけたらなと思っています。
ドラゴン会カンファレンス
僕たちが中学校を卒業して、高校に入学するまでの春休みの間。
僕はドラゴン会メンバーを招集しました。
「おーい野郎どもォ!船出の準備をせいや!」
と言わんばかりの勢いでクルーを集めました。
人数は掃除活動の精鋭中の精鋭5人。
まるで映画「エクスペンダブルズ」のスタローンの気分です。
みんな悪さをしていた仲間で今でも大切な友達です。
みんなが集まるとドラゴン会カンファレンスが行われました。
何を話し合ったかと言うと掃除活動について、掃除をする場所についてです。
元々卒業をしたら記念にどこか掃除をしようと言うことになっていました。
僕たちは卒業旅行などではなく卒業掃除活動でした。
カンファレンスでは色んな意見が出ました。
最終的に平和の象徴である
広島平和記念公園に決まりました。
広島平和記念公園と言うと広島市内にある大きな公園です。
平和の象徴として数多くのモニュメントもあり広島に来る観光客には広島のイメージにもなる場所です。
場所が決まってから数日経った頃、家に一本の電話がかかってきました。
新聞社の方からいきなりの電話
ある日家に一本の電話がかかってきました。
プルルルルル プルルルルル♬
「はいもしもし」
「あっどろんこ会さんですか?」
「はいそうです!あっいえ違います!ドラゴン会です!」
「あーすみません、ド・ラ・ゴ・ンっと。」
(その人は電話の向こうでなにかにメモをしている様子でした)
僕はその時”ヤバっ”と思ってしまいました。
色々やんちゃしていた頃こんな感じで家に警◯察から電話がかかってくることが多く
ちょっとビビっていました。
でもおまわりさんがドラゴン会宛てに電話をしてくるのもおかしいなと思い、
「どちら様でしょうか?」
と聞くと、その後
「私、中国新聞の〇〇と申します。ドラゴン会のメンバーで平和公園を掃除されるって本当ですか?」
「本当です!なんで知ってるんですか?」
衝撃的な事実が
中国新聞と言えばそれこそ広島平和記念公園のすぐ近くに会社がある新聞社です。
なにやら聞いたところ卒業式の朝ドラゴン会メンバーと二人で
中学校の周りを掃除したことと関係がありました。
卒業式の朝のできごと
卒業式の朝僕たちは、今日卒業をするんだと思うとなにか無性に寂しくなり
この中学校になにか名前を残そうと話していました。
メンバーの一人からそれなら学校の外も掃除しようや!と言うことになりました。
前もって門が開く前から登校して教頭先生が鍵を開けてくれると
すぐさま掃除道具を持ちだして学校の周りの道を掃除しました。
その日が中学校生活最後の日だったのでいつも以上に気合いを入れていました。
無事に卒業式を終えると、校長室に呼ばれました。
開口一番校長先生が
「お前たち今朝ラジオ放送で放送されたらしいど!」
と言われ、僕たちはおったまげました。
僕たちが学校の周りを掃除している様子をある大手企業の役員の方が見てくれていて
ラジオ放送で宣伝してくれたらしいのです。
気分はハリウッドスターなみに舞い上がりました。
学校内の校内放送ではなくて、ラジオ放送です。
もう今までこんな体験なんかしたことなくて有名人になったような気持ちです。
新聞社の方から取材のもうしこみ
そこで新聞社の方に電話の中で言われたのが
こちらです
もうおっしゃる通り掃除しますよ。
僕はだんだんと嬉しくなり、
「そうなんです!なにか大きいことをしたくて。」
と答えると、
「それはいつされますか?
もし良ければ取材をさせて頂けませんか?」
まさかのまさかの取材のもうしこみです。
その時の気分は生まれてこの上味わったことのない気分でした。
ものすごく嬉しかったです。
未だに胸が高鳴って高揚したその時の感情をはっきりと覚えています。
もちろん返事はYES。
日時を伝えると電話を切りました。
電話を終えると真っ先に母に報告しました。
とっても喜んでくれました。
確かその次に学校の先生にも報告するともうすでに知っていたと思います。
僕たちが平和公園を掃除することは校長先生はじめ担任の先生にも伝えてありました。
掃除道具は学校にお願いして借りることになっていたからです。
取材当日
いよいよ平和公園の掃除をする日がやってきました。
それに新聞の取材も受ける日です。
メンバーとは朝5時頃待ち合わせして中学校に向かいました。
みんなにも今日取材が来ることは伝えていました。
学校に着くと先生も来てくれていました。
僕たちは掃除道具を借りるとそれを自転車に乗せていざ出陣しました。
朝早くから掃除を始めると、散歩中のおじいちゃんやおばあちゃんが挨拶をしてくれます。
清々しい気持ちでみんな一生懸命掃除をしました。
主には落ち葉を集める作業をしました。
自分たちの掃いた道がどんどん綺麗になっていくのはそれはそれは気持ちがよかったです。
取材の時間は昼前くらいと聞いていたので、12時に近づくにつれてだんだんと気合いを入れていきました。
動きは小魚からマグロのような動きに。
挨拶をする声はひそひそ話から応援団なみの声量に。
新聞社は8F建てほどのビルなので上のフロアから公園内を見下ろすこともできます。
その為少しでも良い格好をしようと動きをオーバーアクションにしていました。
ほうきなんかブンブン振り回すまではいかなかったですがとにかく
「僕たち掃除してますよ!」
と言うオーラが半端なかったことでしょう。
僕は少々大げさに言う性格なところもあるので
みんなには取材のバスが来るんじゃと言うふうに伝えていました。
ソワソワ、ドキドキしながら掃除しているとなかなか取材のバスすら現れません。
12時前、一人の女性が自転車で近寄ってきました。
「こんにちは!ドラゴン会さんですか?」
「はい!そうです!」
その人は一人で、しかも自転車で来られました。
僕たちの妄想は一瞬で泡となりました。
えっ!えっ!えっ!?
- 取材用のでっかいバスは?
- マイクとか照明の人とかなんかカンペ持っとる人とかは?
- カメラマンは?
チャリンコ一台!?
女の人が小さいバッグを持って取材をしてくれました。
イメージと大分違いましたが色々と質問もして下さりそれにきちんと答えました。
初めての経験で人生で大切な思い出です。
最高の友人たちと
後に取材をしてくれた新聞社のお姉さんに話を聞くと
最初は”ドラゴン”ではなくて”どろんこ”だと思われていたそうです。
それはやはり掃除活動をしているグループなので
まさかドラゴンとは思いも寄らなかったそうです。
どろだらけになって一生懸命掃除をしている姿だと思われていたそうです。
そりゃそうだよなとみんなで笑ったのを覚えています。
それでも広島平和記念公園を掃除した思い出は
僕の人生の10代の頃の中でトップ10に入るくらい貴重な体験でした。
掃除をしたい場所も自分たちで決めて完全な自己満足かもしれませんが
掃除をするとその場所が綺麗になるだけではなく、空気も綺麗になります。
汚染された空気は人間の健康に対するリスクであることは確率されています。
ドラゴン会の掃除活動は今後範囲を拡大していこうと考えています。
公共の場だけではなく遊具のある公園や河川敷などもその対象です。
そしてもう一度、思い出の平和公園を掃除する日が近いかもしれません。